私、エンリーコ・マヨーニはコルティーナ・ダンペッツォという素晴らしい地に生まれ、ここに生き、また仕事をしている。 魅惑的な環境を踏査し始めたのは、幼少の頃にさかのぼり、最初は両親と日曜のハイキングで、その後は友人達とであった。
周りの山々は私にとって非常に魅力的なのは明らかで、早くそれらの頂上に到達したくなった。 そのような理由で14歳の時、ドロミーティの最も簡単な登山ルートからクライミングを始めた。
20歳になってイタリアの最も有名で権威ある登山クラブ「スコヤットリ団」に入った。 この時から私のカリキュラムは勢いよく豊富になっていった。ドロミーティはもちろんの事、アラスカのマッキンリー山やイタリアのモンブラン、モンテローザの幾つかの登山ルートやアイスルートなど高山も経験した。
1970年代末にイタリアでスポーツクライミングが登場し、すぐこのスポーツに夢中になり、良いレベルにまで達した(8b)。 しかし、年が経つにつれトレーニングの時間も減っていく。現在、このレベルでのクライミングはしないが、山登りは私の人生の中で大事なものの一つなので、それを楽しみながら続けている。
その間には、山岳ガイドになるための学校にも通った。 1985年に、現在でも仕事をしているコルティーナ・ダンペッツォ山岳ガイド団体に入った。
このようにして昔から大好きだったものが仕事になっていった。 現在夏でも冬でも、本腰を入れてすべき登攀から簡単なハイキングまで、山がお好きな方に同行し、私の山に対する愛をお伝えしたいと思う。私は英語とスペイン語が話せます。
仕事の経験の中で特に思い出すのが好きなのは、日本で行われた山岳ガイド活動だ。 1987年に友人の Nagasawa Sakae にこの魅惑的な国に初めて招待していただいた。その後、2009年から山岳ガイドであるFumikazu Miwaのお陰で山岳ガイドと山登りインストラクターとして何度も日本を訪れた。
私は下記の場所でクライミングとトレッキングした:
Fuji-San – Tateyama – Senjō-Dake – Daisen – Ogawayama – Mt. Mizugaki, Via Verjus hurlent – Kofu- Makuiwa – Hoken – Kiso-Komagatake – Mt. 私は下記の場所でクライミングとトレッキングした: Fuji-San – Tateyama – Senjō-Dake – Daisen – Ogawayama – Mt. Mizugaki, Via Verjus hurlent – Kofu- Makuiwa – Hoken – Kiso-Komagatake – Mt. Rokko – Hieizan – Hirotaki slab – Mimuro Yama – Hyakujoiwa – Fodouiwa – Gozaisho Dake – Hyononsen – Oghinosen – Misengawa – Yake-Dake – Gochakuiwa – Yama Jinja – Seppiko San – Yoshida – Mukabaki – Shishiiwa – Hokke no iwaba. 私の日本での体験写真をご覧になる方はここをクリックして下さい。
技術と知識
少し前のものですが、登山ガイドの国際クライミング大会に参加した私の2つのビデオをご覧ください。
Arco (TN) 1995 – Enrico placed 9th
Sexten (BZ) 2002 – Enrico placed 2th
なぜ山岳ガイドを同行させるのでしょうか? それは 山岳ガイドが自分の積んできた経験を提供させて頂き、皆様に安全且つ大きな感動と思い出深い瞬間を過ごして頂くためです。
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