コルティーナ・ダンペッツォは元来畜産の村で、山に囲まれたその静かで安全な位置のおかげで早くから発展し、3000人にまで達した人口は第一次世界大戦までそのままでした。
経済はその間に、森林開発と木材取引により変化しました。19世紀中頃に鉄道が通ると、裕福なイギリス人やドイツ人、ロシア人旅行者が初めて訪れ、その美しい山々を目にしました。
多くの新聞記事やガイドブックにより、間もなくコルティーナ・ダンペッツォは世界中で知られるようになりました。
このようにして、大型ホテルやスポーツ用・観光客用施設が建築され、コルティーナ・ダンペッツォは、ドロミーティの中心地となりました。 20世紀初頭、スキーを始めとする雪上スポーツによって冬期シーズンの基礎が築かれ、1956年冬季オリンピックの成功により、その頂点に達しました。
また、このオリンピックは初のテレビ放送により世界各国で視聴されました。 今日、コルティーナ・ダンペッツォの人口は 6000 人に達し、その経済は観光業に基づいています。
夏期には他に類をみない自然の中でのあらゆるレベルのトレッキングルートや山のパノラマを望む散策道、また 冬期には第一級の設備を誇る100kmにも及ぶスキーゲレンデが用意されています。そして、多様な伝統工芸も経済を補っています。
コル ティーナ・ダンペッツォはその地理的位置により、最初は“晴朗きわまる所”と呼ばれるヴェネツィア共和国、その後約400年間にわたりオーストリアハンガ リー帝国、そして 1918 年にイタリア領土となりました。
これにより、時を越えて受け継がれた豊かな伝統的財産が保存されてきたのです。
これらの伝統は、まず地域の環境を守るため の厳格な建築規制、そしてカラフルな女性用衣装や快い抑揚のあるラディン語の方言、家を飾る花への愛情などに現われています。